ダサいが心の底から大嫌い

ダサいか、ダサくないか。



私は何事もこれを基準に判断してるんです。

しかもまぁまぁ瞬時に。

だから感覚に近いのかも知れない。



ダサいか、ダサくないか。



言い換えると



私の羞恥心を刺激するか、しないか。



恥ずかしいか、恥ずかしくないか。



つまりは



美しいか、美しくないか。



やっぱりここに行き着く。




(ニタニタ顔でシュペットちゃんを撮る私を撮られるのはやや恥ずかしい。
猫に羞恥心はあるのだろうか。




(まぁそんなこと言わずに…




(いつもこんな写真ばっかり撮ってるけど
それは…恥ずかしくない 笑




あ、これは
ファッションや外見というより
醸し出される雰囲気というか…。




最近やっと
失敗ってないんだな、と自覚しまして(遅い?

“経験”に善し悪しはない。



だから
結果、何か違うと思ったら
修正すれば良いんだよね。


何かに従って行動すること

もっと言えば
行動してみて想像と違ったり

理想と現実?みたいな差異を
恥ずかしく思うことはなくなったような気がする。



違うな…。



恥ずかしく思ってる今の私を受け止めて
自分の好みへ昇華出来るようになった、
が近いかも。


ダサいって私の中で本当に大きくて!笑

直視出来なかったんですよ。
だってダサいって致命的だと思ってたから。
瀕死です、瀕死 笑。



だからこれは私にとっては
相当に大きな変化であります。



そして
そのダサさの向こう側に
私が大切にするものが明らかになる。



私だけの美学が生まれる。




“私は何が好きか?”
を知らなかった頃から
やたらとダサさセンサーは作動していて

昔はそんな自分が口ばっかりな奴みたいで
本当に嫌でしかなかったけど

長年かけて
私だけの美学の構築をしていたとも言える。
(カッコつけさせて!笑



えー、ちなみに
ダサいダサい連呼してますが
何をもってダサいのか?


私が【ダサい】に乗せている意味は

『ちぐはぐさ』

『アンバランス』


これが私の中のツートップ。


物にも人にもこの尺度を採用していて
視覚から来るのか?
それとも、もっと感覚的なものなのか
まだ掴めてないんですが。



ダサさをずっと見ていくと

『しっくり来ないなぁ』

『その人らしくないなぁ』

みたいなところに繋がることも多い。




(すました顔して、その数分後



(何故か!1段目には水が来てないと思い込み
思いっきりフツーにヒールで足を踏み入れ…
想定外に生暖かい水の感触に驚く…。
右足だけびっちょり。
でもこれは私の中ではダサくない 笑。




『ダサい!』

『好きじゃない!終わり!』ではなくて

『これのどこがダサいと感じるんだろう?』
と私に聞いていく。


そうすれば
美学になりうる大切なものを見つけるかも知れないし

不要な設定に翻弄されているだけかも知れない。




(ある意味コスプレな写真を載せるのもギリギリセーフです!





自分の設定に気付く扉は無限にあるけど
私は『ダサい扉』経由が多いなぁ。


ダサいが“悪”でなくなったから
その扉の向こうにある宝物を見つけられた。



皆さんはどんな扉で設定を見つけてるのかしら??
知りたいわ。。


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Lucia

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